仮想通貨(ビットコイン)の誕生と歴史を解説

仮想通貨という存在は知っているが、どのような経緯で誕生したのか、誰が作ったのか、最初に使われたのはどのような事例だったのかなど知らない人も多いでしょう。そこで今回は、ビットコインの誕生と歴史について解説していきます。ビットコインを作った人は謎の人物だった!?

ナカモトサトシの論文

ビットコインが生まれる原因となったのは、2008年10月31日にインターネット上で投稿された『Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System』という論文でした。ビットコインに関する論文だったのですが、これを投稿したのが『サトシ・ナカモト(詳しくは後述)』と名乗る人物だったのです。この投稿に対して、多くの研究者やプログラマーが反応しました。

その画期的な理論に触発された研究者たちは、有志という形で集結して論文を証明するために研究と開発が行われました。初期段階では、論文の著者でもあるサトシ・ナカモトも開発に関わっていたようです。しかし、2010年になると正体を明かさないままプロジェクトを去ることになりました。サトシ・ナカモトという大きな柱を失ったプロジェクトでしたが、その後も有志たちはビットコインの研究を続けたのです。その研究が行われた場所を、『BitocoinCore(ビットコインコア)』と呼びます。

論文が発表されてから2ヶ月後の2009年1月始めに最初のブロックが生成されました。これが、ビットコインの誕生になります。ブロックが誕生したことによって、ビットコインに関する2つの出来事が起こりました。1つ目が、ビットコインがオープンソースで公開されたことで誰でもビットコインのネットワークに参加可能になったことです。2つ目が、ビットコインを使った最初の送金がサトシ・ナカモトとソフトウェア開発者のハル・フィンリー氏の間で行われました。

そして、この論文によって『P2P(ピア・トゥー・ピア)』や『ブロックチェーン』と呼ばれる新しい仕組みを使用した、発行主体を持たない『分散型の処理』を行う新通貨を生み出す方法が記されていました。これほどの功績を残したサトシ・ナカモトの名は意外なところにも残されており、ビットコインの最小単位『0.00000001BTC=1satoshi』の単位『satoshi』は、サトシ ナカモの名前から取られたものです。

サトシ・ナカモトの正体とは?

このように、ビットコインの生みの親でありプロジェクトの中心でもあったサトシ・ナカモトですが、実はその正体は分かっていません。ビットコインの論文を発表して8年も経っているのに誰も知らないのです。名前だけを見れば日本人のようにも考えられますが、これが本名という確証もありません。当時のプロフィールには、37歳の日系人ということで公開されていましたが、これも正しいものか分からないのです。とても謎の多い人物として有名ですが、いくつか情報もあります。

それが、『サトシ・ナカモトはビットコイン100万BTC~1000万BTCを保有している』ことです。これが事実であれば、とんでもない資産を保有していることになります。生みの親であれば、当然の権利とも言えますが、実はこれがサトシ・ナカモトという人物が正体を明かせない理由とも言われています。

まず、正体を明かすことによってリスクが増えることです。仮に100万BTCだったとしても単純計算で約7700億円(2018年10月のレート)の資産を保有していることになります。これが世間に分かってしまえば、強盗などの被害に遭う可能性も上がってしまうでしょう。直接的な強盗だけではなく、ハッキングの標的として狙われるかもしれません。身の危険を抑えるには正体を明かさないのが一番なのです。

そして、もう一つの理由が『保有しているビットコインに対して課税される可能性が高い』というものです。名乗り出てしまっては逃げることは出来ません。せっかくの資産が大幅に減ってしまうのであれば、正体を明かさずに隠し続けた方が得だと考えたのでしょう。確かに、それだけの資産があれば正体を明かして名声や称賛を得るよりも、静かに暮らす方が正解なのかもしれません。

このように、一切正体が分からないサトシ・ナカモトですが、実は『自分がサトシ・ナカモトである』と名乗り出る人は多くいます。特に、ビットコインが高騰して仮想通貨業界が熱を帯び始めてから増え始めたと言われています。しかし、本当にサトシ・ナカモトという確証がある人物は現れておらず可能性は低いとされています。目立ちたがり屋なのか、ビットコインの高騰を狙った嘘なのか、さまざまな理由があるでしょう。

では、ここで一人だけサトシ・ナカモトであると名乗り出た人物を紹介します。名乗り出た人物は、オーストラリア人起業家である『クレイグ・スティーブン・ライト氏』です。彼がサトシ・ナカモトとして名乗り出て、周りが少し信じたのには理由がありました。彼が保有しているビットコインは110万BTCで、サトシ・ナカモトしか知らないはずのビットコイン情報を持っていたのです。

しかし、このような発表をすると動きだすのがマスコミです。当然のようにクレイグ氏のことを調べ始めました。すると、すぐにボロが出始めたのです。発言の多くが嘘であったことを突き止め、グレイグ氏もそれを認めました。目立つためにやったのかは分かりませんが、サトシ・ナカモトの正体だと信じた人にとってはショックな出来事でしたね。

結局のところ正体は分かっていませんが、最近のニュースによるとSBIホールディングスの会長である北尾氏がサトシ・ナカモトと議論したと公表しました。議論したというのは真実だと思いますが、正体までは明かさなかったみたいですね。いつか明るみになる時が来るのでしょうか。

世界初のビットコイン取引

ビットコインを使った初めての取引は何だったと思いますか?物件、高級車、ブランド品など高い物が思い浮かびますよね。しかし、実際に取引されたのは『宅配ピザ』だったのです。ビットコインの記念すべき初取引がピザってのも何だか気が抜けますよね。では、どのような経緯でそうなったのか見ていきましょう。

宅配ピザが届くまでの経緯

初めてビットコインが使われたのは、ビットコインが誕生して約1年経った2010年5月18日でした。当時、ビットコインの知名度はまったくなく、知っているのは一部のプログラマーという状況でした。そんな中で、アメリカ在住のプログラマーである『Laszlo Hanyecz(ラズロ・ハニエツ)氏』が、自分が保有しているビットコインに価値があると証明するために、ある行動に出ます。

ビットコインのコミュニティサイトである『Bitcoin Forum』に以下のような投稿がされました。

私が保有しているビットコインの内、10,000BTCを支払うので、私の大好きなピザと交換しよう!

10,000BTCと聞けば、『え?70億円近くのピザを購入したの?』と思うかもしれませんが、当時のビットコインの価値は1BTC=0.2円しかありませんでした。10,000BTCあったとしても2,000円の価値しかなかったのです。今となっては考えられないほど安かったんですね。

この投稿に対して、周りもさまざまな反応を示しました。

『あなたはどこに住んでいるの?』や『ヨーロッパからアメリカのピザが購入できるなら、ドミノピザを購入する』といったものです。結局、5月18日当日にビットコイン決済は成立することはありませんでした。すると、その3日後5月21日にジェレミー(当時19歳)という学生から『あなたの希望に応えたい』という反応を貰ったのです。

ただし、ピザ屋に対して直接ビットコイン決済が行われた訳ではありません。反応をくれたジェレミーは当時ロンドンに住んでいました。その状態でアメリカのピザ屋への電話注文はトラブルに発展してしまうと考えたのです。ピザ屋からしてもイタズラか詐欺にしか思えませんよね。

そこでジェレミーが考えたのは、ラズロ氏がよく利用している『パパジョン』と呼ばれるピザ屋にオンライン注文して、ピザ屋への支払いはクレジットカード決済で行ったのです。ピザ2枚分の支払いは小計25ドルでした。そして、オンライン注文されたピザは翌日の5月22日、ラズロ氏の元に実際に届いたのです。

それに対して、ラズロ氏は約束通りにジェレミーに10000BTCを送りました。ジェレミーはピザ屋に25ドルをクレジットで払って、ラズロ氏は25ドルの代わり10000BTCをジェレミーに送ったということです。ラズロ氏は、届いたピザを『Bitcoin.talk』上にアップした(現在は閲覧不可)ことで、間接的にですが10000BTCとピザの交換に成功したと報告したのです。

今となっては考えられないような話ですよね。10000BTCが25ドルで手に入るなら必死になって交換するでしょう。ラズロ氏も、もしかしたらもったいないことをしてしまったと後悔してるかもしれません。逆に、ジェレミーは一気に億万長者の仲間入りしている可能性もあります。ビットコインの高騰を予想して保有していたらの話ですが…。

ビットコインピザデーとして定着

このように、初めて仮想通貨が使われたことは多くの投資家に希望を与えました。そこで、毎年5月22日は『ビットコインピザデー』として祝っているのです。すでに8年という時が経過していますが、未だに祝われていることから忘れられない出来事だったことが分かります。特に、ラズロ氏が働いているGORUCKでは、スタッフと共に宅配ピザを用意して祝福しているようです。

仮想通貨取引所でもお祝いをしていることから分かるように、仮想通貨を扱う上では覚えておくべき日でもあります。ただし、あくまで仮想通貨に関わる記念日というだけであって、世界的な記念日という訳ではありません。この記念日を認めている国もあれば、一切認めないとしている国もあります。仮想通貨に対する規制が強くなっている影響もあるのでしょう。扱いが非常にデリケートな部分でもあります。

しかし、このまま仮想通貨業界が大きく成長していったら変わるかもしれませんよ。国によっては、仮想通貨記念日として認定するかもしれません。さすがに、国民の休日になるような祝日認定は難しいかもしれませんが、中国などは仮想通貨に高い関心がありますし、可能性はあると考えています。因みに、日本では100%ならないと思うので期待しなくても大丈夫です。

これからの仮想通貨

2018年になって仮想通貨バブルは弾けたと言われています。

200万円を超えていたビットコインも2018年10月には77万円に落ちているので、そう考えてしまっても仕方ありません。しかし、今後も仮想通貨業界は手広く発展していくと予想しています。使える場所も増えていますし、特定の商品に特化した仮想通貨も作り出されています。

日本では馴染がありませんが、銃器類や大麻に関する仮想通貨も誕生しているのです。それらの価値が実証されれば、これらの価格は上昇して仮想通貨全体が盛り上がっていくことでしょう。ただし、懸念材料もあります。まずは、仮想通貨に関する規制がどのようになっていくかです。全面的な禁止になってしまえばどうしようもありません。

規制に直接関係していく部分で言えばハッキングや盗難の被害です。これまでも多くの仮想通貨取引所がハッキング被害に遭っています。その度に、仮想通貨の価格は暴落して金融庁などから監査が入ります。指導が入ってしまうと仮想通貨に対する法律を強化する口実になるでしょう。

以上のことから、これからも仮想通貨の市場は拡大していくことが予想されます。しかし、少しの変化でも大きく変わるのが仮想通貨業界です。これからも多くの情報が行き交うはずです。毎日のように情報を入手する努力、対応する力を身に付けておくようにしましょう。